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大阪で小学校教員を16年勤めたのち、柑橘農家に転向した長澤洋さん。選んだのは、妻・裕子さんの出身地であるみかんの産地、八幡浜市だった。今は小学校に通う息子の亮平くん、娘の小春ちゃんと、家族の時間もたっぷり。都会とは違ったのんびりした時間の中で、「とても人間らしい生活」を実感している。
子どもが就学するタイミングで移住。
何かきっかけがあって転職・移住したのですか。
(洋さん)最初は50代で早期退職して農業がしたい、というような話をしていたんです。
でも年をとってから農業を始めるのも大変だし、上の子が小学校に上がるタイミングで心を決めました。また研修制度自体に年齢制限があったため、これが最後のチャンスかなというのも感じていました。
最初から移住先は八幡浜と決めていましたか。
(洋さん)そういうわけではないのですが、農業でも果物がしたかったんです。
それでたまたま妻の地元が八幡浜という柑橘の大きな産地だったので選びました。大阪の両親は「みかんが作りたいなら和歌山は?」と言っていたのですが、最終的にはこっちに親戚もいることだし、子育てのことも考えたらやっぱりそのほうが心強いなと。
それに八幡浜は行政や地元JAのサポートが手厚いことも決め手になりました。国や市の制度を活用するだけでなく、JAの研修制度でお金をもらいながら農家さんに行って勉強させてもらえたことは大きかったです。
研修期間はどれぐらいでしたか。
(洋さん)2年間です。八幡浜の中にもいろんな地域があり、研修生がそれぞれ自分で地域を選んで研修を受けるのですが、毎週水曜日にはすべての研修生が集まって作業するという時間も設けられていました。そういう研修生同士の交流が持てたことで、農家さんとはまた違う話ができてよかったですね。
独立(就農)したのはいつですか。
(洋さん)2022年2月です。今は宇和海を見下ろす段々畑で、85アールの面積で温州みかんを栽培しています。
とりあえず少なめの面積からスタートして、今後周りの園地が空いていけば、それを引き受けることができる余力を持っておいたほうがいい、というのを研修チームの人たちと話し合いました。そういう就農までのサポートがしっかりしていたことは、とても頼もしかったです。
移住に関する支援も利用しましたか。
(洋さん)はい。住んでいる家自体はもともと親戚の家なのですが、行政の制度を柔軟に活用して改修の支援をしていただきました。
当たり前のことが、当たり前にできる環境。
都会との違いを感じたエピソードはありますか。
(洋さん)あるときバイクの鞄に知らない間にオクラが入っていて、えっと驚いたことがありました。
以前にも一度いただいたことがあり、「おいしかったです」とお礼を言ったことから、また届けてくださったようで。「入れといたよ」とあとで聞きましたが、都会ではこういうことはまずないでしょう。それだけこちらはみなさん人が好いというか、のんびりしているというか。
子育てをする環境としてはどうですか。
(洋さん)私は小学校教員をしていたので、大阪でたくさんの子どもたちを見てきましたが、彼らは大人顔負けの忙しい日々を送っています。夕方学校が終わったら習い事に行って夜遅くまで頑張る。都会の子は大変です。
私がこっちに来て一番驚いたのは、妻の実家に行ったとき、通りすがりの中学生が「おはようございます」とあいさつしてくれたんです。妻に「知ってる子?」と聞いたら「知らない」と。これは衝撃でした。それまで大阪では「知らない人としゃべってはいけません」と子どもたちに教えてきたわけですから。でも普通に考えれば、人間として人にあいさつするというのはとても大事なこと。それが当たり前にできない環境に住んでいるのが、今の都会の子どもたちなんですね。
そういう意味では、とても人間らしい生活がここにはあると思います。
奥さんは都会と地元の生活を比べてみてどうですか。
(裕子さん)大阪ではマンション暮らしだったので、足音一つでも周りに気を使いながら、うるさくしないようにしていました。それが今ではやりたい放題というか、気にしなくていいのはラクです。
(洋さん)床抜けへんかな? と思うぐらいです。
毎日、家族と食卓を囲めるということ。
生活スタイルが変わったことで心のあり方も変わりましたか。
(洋さん)そうですね。農家は自営業ですから、朝8時に畑に行くなら、それは7時55分でも8時5分でもいいわけです。でも都会で定刻どおり電車に乗って通勤しようと思ったら、そうもいきません。そういう分刻みの時間の追われ方をしなくなったことは、かなりストレスの軽減になったと思います。
もちろん農業には農業の忙しさがありますが。
家族の時間もしっかり持てるようになりましたか。
(洋さん)はい。農作業は基本的に暗くなると作業ができないため、家に帰る時間は以前に比べて格段に早くなりました。だから毎日、家族で食卓を囲むことができています。ときには子どもが遊びから帰ってくるより、私のほうが先に帰っているぐらいです。
また授業参観など平日の子どもたちの学校行事も、スケジュールに都合をつけて参加しやすくなりました。午前中に仕事をして昼から予定を空けるというようなこともできますから、夫婦で参加しています。
お子さんたちはすぐに新しい環境に馴染みましたか。
(裕子さん)あっという間にお友達をつくっていました。息子は転校というわけではなく、向こうで卒園してこっちで小学校に上がりましたし、娘もこっちに来て幼稚園に入ったので、特に移住を嫌がるようなことはありませんでした。今では二人ともすっかり八幡浜っ子ですよ。