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2021年3月13日
山暮らし
北海道
新居浜市
新規就農で、農業と地域の可能性のとびらを拓く。
波片 仁志さん

愛媛県新居浜市で「はがた農園」を営む波片仁志さん。小学2年生から高校生まで育ったまちで、会社員、漁師という経歴をたどって就農した。いま、人が温かい地域に見守られながら、次々と荒れた耕作放棄地を農地へよみがえらせている。そのフロンティア精神で、農業と新居浜というまちの、それぞれの可能性を拓く。

気持ちのいい風が通る農園ですね。

ここはもともと耕作放棄地になっていたんですよ。やぶのようになっていたのですが、それでも初めてこの船木地区を訪れたとき、雰囲気がよくて「ここじゃな」って即決したんです。たまたま近くで新規就農をした知人から、この土地を紹介してもらい、「開拓のしがいがある」と思って2016年に借り受けました。地主さんたちも地域の人たちもすごく温かい人ばかりで、「来てくれてありがとう」って声をかけてもらってうれしかったですね。

五反(一反約300坪)から初めた「はがた農園」も、耕作放棄地をどうにかしてという依頼が相次いで、今は一町三反ほどになりました。

どんな作物を作っているのですか。

ニンジンがメインで、ほかにも大根やジャガイモなど根菜類を育てています。種類を増やせば、それだけ作業も煩雑になり、専用の農具を揃えるのにも一苦労です。一人で少しでも長くやっていくために、今後もニーズを探りながら、品目を絞って、効率をあげていきたいと考えています。

最初の年は市場に出荷していましたが、相場が安定しないため、産直出荷に切り替えました。新居浜市内のスーパーの産直コーナーに、似顔絵付きのシール付きで作物を置かせてもらうようになって、地域の人たちが「はがた農園」を認知してくれるようになりました。味の反応などをストレートにもらえるので、とてもやりがいを感じています。

新規就農で、大変なことはなかったですか?

農業という仕事は、究極のストレスフリーです。ただ、暑さが苦手で炎天下の作業はこれまで避けていました。でも去年の夏、作業服にファンが付いた“空調服”を買ったら、暑い日も作業ができるようになってしまった。めちゃくちゃ暑い日に自分しか働いてないっていうのが快感になってきたんです(笑)。道ゆく人にも、「暑い中えらいね」「手伝ったろうか」って言われるし、大変なことなんて本当にないですね。自由度が高い農業が性分に合っているのでしょうね。

福岡県大野城市で生まれ育った仁志さん。小学2年生のとき、父親の実家がある新居浜市へ引っ越してきた。高校を卒業後、大阪の建築系の専門学校へ進学。その後、住みたい場所の一つだった北海道で不動産屋に就職した。ところが、希望の仕事内容が叶わず、20歳でふたたび新居浜へ。自身の好奇心を大切にする仁志さんは、この地でようやく天職とも呼ぶべき農業とめぐり合った。

新居浜にふたたび戻ってきた経緯は。

北海道釧路市の不動産屋に就職しました。建築部門ができると聞いて選んだのですが、その兆しが見えませんでした。転職しようと思ったものの、北海道では希望の職を見つけられず、そのタイミングで父親から、「仕事ならたくさんあるから新居浜に帰ってこんか」って言われたんです。北海道で出会った妻と一緒に、20歳のとき、新居浜に戻り、住宅建築メーカーに就職しました。

農業を始めたきっかけは?

若さもあったんでしょうね。「やりたい仕事」と納得できない自分がいました。そんな時、マグロ漁師のドキュメンタリー番組を見て、「かっこいいな」と思って漁師になろうと決めました。船を買い、見よう見まねで5年がたち、それなりに稼ぐようになりました。景気が良かったのは一時期で、その後は世界的な原油の値上がりなどで経費がかさむようになりました。一方で、こどもたちの教育費がかかるようになって、漁師の仕事は大好きだったけれど「陸にあがろう」と決めました。13年も漁師をしていたのに、不動産屋の面接を受けたら受かってしまって。でも、やりたいことをやらんでええのかな?って迷っていたので気づいたら断っていましたね。

知り合いの米農家から声をかけてもらったのはそんなタイミングでした。それから2年間、コメ作りを学びましたが、腰が悪くて収穫の作業がしんどかった。将来のことを考えると米農家は難しい、と思う反面、農業は自分の性に合っているなと確信しました。

就農して5年が経ちました。今の展開は?

だれかに教えてもらったわけではないので、たくさんの失敗を重ねてきました。5年目、就農当初に立てた目標は達成できたけれど、着実にステップアップしたのではなく紆余曲折しながらどうにかゴールした感じです。

就農一年目から、学校給食に自分で作ったニンジンを使ってもらっています。学校の栄養士の知り合いがいて、「はがちゃん(はがた農園)ところのニンジンやったらこどもたちが食べてくれるんよ」って言われたときは、とてもうれしかったですね。市内の小学校から次々に声をかけてもらうようになり、もっと“いいもの”を作ろうという想いが強まっています。 給食費は、予算が限られています。その中で今、独自に進めているプロジェクトがあります。それは、うちの野菜で漬物を作って販売して、そのもうけを全額、学校給食に使うニンジンの資金にしようというチャレンジです。給食という作物の“出口”を示せたら、きっと新規就農者も増えるし、ちゃんとしたものを食べさせたいという地元の親御さんも喜ぶし、いいことづくめ。給食の食材供給という、農業の新たなビジネスモデルを示すことができます。

農業の可能性をひらいていますね。

漬物のプロジェクトも、地元のクリエイターと一緒に、どこに出しても恥ずかしくない“一級品”を作ろうとアイデアを練っています。勉強や工夫をすれば、農業はどんどん楽しくなる。自由に想像を膨らませることができる、無限の可能性を秘めた仕事だと思います。

そして、別に農業一本にしぼって働く必要もありません。ぼく自身、実は今、早朝4時から5時間ぐらいトラックの運転手もしています。こどもたちが家を離れて、大学と私立高校に通い始め、お金がかかるようになりました。固定のお金が入ってくる安心感と、作業効率を考えるのとで、すごく集中できるんですよ。

今、農園の研修生に地元の人を3名受け入れ、圃場をそれぞれに与えて自由に農仕事をしてもらっています。彼らは農法にもこだわっていて、ぼく自身も勉強になっています。ぜひ、農業や移住に興味のある人もない人も、ここに遊びに来てほしいですね。いろんな人と出会うことで新しいワクワクが生まれるかもしれない。はがた農園は、だれにも拓かれた場所でもありたいです。

新居浜市はどんなまちですか?

子育てはしやすかったですね。その裏付けとして合計特殊出生率が四国一で、全国平均の数字を大きく上回ります。待機児童の問題もないですし。海も山もあり自然も豊かで、住みよいまちだと思います。岡山、広島、高知、香川と高速道路を使えばどこでも簡単にアクセスしやすいのも気に入っています。 産業が何かに突き抜けていないことも、ぼくは良い意味で捉えています。漁が盛んなまちだったら、簡単には漁師にはなれません。小さな漁協がちょこちょこあるまちだから、素人の自分がすっと入ることができた。農業が盛んだったら、農地の最低規模に厳格なラインがありますが、ここなら三反から始めることができます。新規参入がしやすいのです。ぼく自身が証明しているように、いざとなれば仕事があるんですよ。13年間漁師をやってきた履歴書を見て、不動産屋に受かるぐらいだから(笑)

新居浜のまちの可能性は?

こどもたちの未来に希望を持たせるようなまちにしたいですね。「一度は都会に出ていっていいけん、いつかは帰ってきて」というのが願いです。クリエイティブな仕事は今の時代、地方でもできます。そのすべを都会で習って、戻ってきて一緒にこのまちをどんどん豊かにしていきたい。若い世代が、自ら住みよいまちを作っていったらいいのです。  今の時代のこどもたちは高いスキルを持っているし、考え方も柔らかいです。その子たちがいつかこっちに帰ってきて農業をしたら、相当おもしろいことになるんじゃないのかな。その可能性があるのが、このまちやと思っています。

PROFILE
移住先エリア
※移住先周辺の地図であり、正確な場所ではありません。
出身地 福岡県大野城市
移住元 北海道
移住先 新居浜市
移住の進め方
実家の父親から仕事がたくさんあるから帰っておいで、と言われたのがきっかけ。就職先もすぐ決まり、夫婦で北海道から新居浜に移住しました。
1日の過ごし方
朝4時から10時までトラック運転手のアルバイトをして、日が沈むまで農園で仕事をしています。夜10時ごろには就寝しています。
休日の過ごし方
子どもたちが家から巣立ってからは休み、という感覚はありません。好きな農業をしているので、毎日休日みたいなものです。
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ぜひ一度、はがた農園に遊びに来てください。百聞は一見にしかず。お待ちしています!

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