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高知県との県境に位置する森の国・松野町。滑床渓谷など自然あふれる環境にほれ込み、東京出身のデザイナーの市毛友一郎さんは2012年7月にIターン移住した。松野町をテーマにしたポストカードや、夏祭りのポスター、優待券付き名刺など、地域に密着したデザインの力で地域活性化に一役買っている。移住者ならではの新しい発想で、小さな山あいの町の魅力を全国に発信している。
移住をしようと思った経緯を教えてください。
私は東京で生まれ、東京で働き、東京で結婚しました。著名なアーティストの事務所で、忙しく働いていましたが、とあるきっかけでそちらを辞めることになって。それが移住をしようと思った最大の動機です。勤め先が東京でなくなれば、ずっと東京にいる必要はないかもと考えるようになって。
ちょうど妻が、「都会暮らしは、ちょっとしんどいな」という時期も重なって、仕事を辞めて、2人で何をしようかじっくりと話合いました。商売を始めようとか、いろいろ考えましたが、話せば話すほどグッとくるものが見つからなくなって。収入とか考えずに、やりたいことがないかなと考えていた時に、妻が「世界を一周してみたい」と提案したので、1年間の世界一周旅行をしました。安宿に泊まって、地元の安い市場で食事をして回り、本当にいろいろな経験をしましたね。国によって価値観が全然違って、こういう世界もあるんだなとすごく影響を受けて。東京にいる必要はないなという思いが強くなりました。
移住先として、松野町を選んだのはどのような理由からですか?
世界一周旅行から帰国して、今度は国内で移住先を探す旅に出かけました。まずは、九州に入り、佐賀や長崎の五島列島をめぐり、それから九州を横断して、山口に入って、四国へと10日間ぐらい車中泊しながら移住先を探しました。旅する中で、景色がきれいなところはたくさんありましたが、実際に住むとなると、ピンとくるところが意外となくて…。最初は島暮らしや海暮らしへの憧れがありましたが、現実の暮らしを考えると難しいかなと。「もしかして、自分たちにあうのは、島や海ではなくて、山暮らしかも?」と途中からだんだん思うようになってきて。
今治に入って、松山を通過して、宇和島まで来たところで、どっと疲れが出て。宇和島の道の駅で車中泊した夜、「このまま旅を続けても、行き当たりばったり過ぎて移住先を見つけるのは無理なんじゃないか」と2人で話し合って。「いったん東京に戻って、仕切り直そう」と決めて、帰り支度をしていた時に、たまたま道の駅の観光案内所で滑床渓谷のパンフレットを見つけて。せっかくだから帰り道の途中に寄ってみようと、松野町に入って滑床渓谷に行ったのですが、その道沿いが「この辺いいかもね」と2人ともピンときて。滑床渓谷って、マイナスイオンたっぷりのすごくいいところじゃないですか。「こんな渓谷のそばに住めたらいいかも」と盛り上がりました。
滑床渓谷を訪れたことが松野町への移住のきっかけだったんですね。
はい。滑床渓谷に行った後、ダメ元で松野町役場を訪ねて「移住先をあっせんしていますか?」と聞いてみたら、「何軒かあるので行ってみますか?」という話になり、大家さんにも紹介して頂き、2時間くらいおしゃべりをしました。その日はそれで帰ったんですけど、これが最終的に決め手になりました。たまたま松野町を通りかかって、たまたま町役場に行って、そのまま空き家を紹介してもらって。きっとご縁があったんですね。
島や海ではなく、山なんじゃないかと思うようになったのはなぜ?
島は、ガソリン代が高かったり、物価が若干高いんですね。九州から中国、四国と移住先を探していた旅の途中も、道の駅やスーパーマーケットを回って、地元の食材や物価をチェックして、島暮らしは物価的にハードルが高いなと。僕らの好みが、「風景がきれい」よりも、「食材がおいしくて、その土地の人が良くて、暮らしやすい」を優先するタイプでしたので。
移住する際には、仕事がある、ないも不安ですが、一番は地域に溶け込めるかどうか、近所の人に嫌がられないかというところが心配でした。そういう意味では、松野町はわりと「ゆるい」んですね。
近所の人はいい距離感を取ってくれて、基本的には放っておいてくれる感じが、すごくラク。いい感じで放っておいてくれますが、ポイント、ポイントでは、いろいろと教えてくれて。行事に参加させてくれたり、声かけをしてくれたり、おすそ分けを持ってきてくれたり。そういう意味でも住みやすい土地ですね。
一方で、困ったことはありますか?
困ったことはあまりないのですが、妻が今年、妊娠して、病院はあるけど、強いていえば、選択肢がやや狭いなということは感じました。ただ、地元の保健師さんにとても相談に乗って頂けて、たくさん情報をいただいて、希望に合う病院もみつけられたので、今は問題ないです。松野町では、年間に生まれる子どもは10人ぐらいなんだそうです。そのせいか保健師さんやまわりの方が、ものすごく親身になって、とても大事にしてくれます。保健師さんと話していると、「どこそこの誰々さんがベビー用品を譲りたがっている」とか、町の情報をいろいろ教えてくれて助かります。
子育てはこれからだと思いますが、子育て環境について気になる点は?
情報収集はこれからですが、保育園が2つ、小学校も3つあるし、特に問題なさそうですね。都会で子どもを産んで、学校に行かせようと思った場合、いじめとかいろいろあって大変そうじゃないですか。そういう心配をしないで済むという意味では、松野町は親としてはありがたいですね。登下校でも、近所の人が見守ってくれている道を通うので、そんなに心配することもないでしょうし。治安についても、ほとんど悪いことを聞かない。子育てはすごくしやすいだろうなと思います。遊びの環境もたくさんあるので、自然を駆けずり回って、きっとのびのびと遊べるでしょうね。
松野町に移住して驚いたことはありますか?
食事の味つけが甘めなことには驚きました。関東から引っ越してきて、その点はある意味カルチャーショックでした(笑)。食文化のギャップは、実際に住むまで知らなかったですが、食材はやっぱり抜群!でした。都会では味わいづらいのですが、野菜や新鮮な魚など、毎日の食材で季節感を感じることが出来るのは、本当に感動的です。
移住後、デザイナーやイラストレーターの仕事に変化や影響はありましたか?
実は、完全にフリーで仕事をするのは、松野町に来てからが初めてなんです。移住した当初は、東京で仕事をしていた時のクライアントさんから100%仕事をいただいていました。でも、せっかく松野町に引っ越してきのだから、松野町のことも表現していきたいなと。それで、郷土芸能の「五ツ鹿踊り」の鹿をキャラクター化して、じごく漁でうなぎを捕っているイラストを描いてポストカードにしてみたんです。それが役場の方の目に留まって、「こういうことが出来る人なんだ」と認識して頂けて、それから、松野町役場から、少しずつ仕事をいただくようになりました。
つい最近までは、東京の仕事と松野町の仕事は半々くらいでしたが、いまは地元の仕事が増えてきましたね。「手に職を持っている人」ほど、実は田舎では仕事があると思います。地方に行けば、企業が少ないから就職は確かに難しい。でも小さな町ほど、ケーキ屋さんがないとか、おしゃれな美容室がないとか、デザイナーがいないとか、そういう状況がある。フリーランスで仕事をしたい人にとって、地方にはチャンスがいっぱいあります。手に職を持っているフリーランスの人には、強く移住をオススメしたいですね。
松野町への移住は市毛さんにとってベストの選択だったんですね。
仕事として1回うまくいくと「またお願いします」と、お付き合いが長くなるし、回数も増えます。周りにデザイナーがあまりいないという状況は松野町に限らず、隣町でも同じです。宇和島にも営業をかければ、きっと仕事はありますし、松山にもあるかもしれない。フリーの人は都会よりも仕事がしやすいと思います。確かに、ギャラは都会と比べると差はありますが、地元に密着して、自分がやった仕事が、たとえば公用車にラッピングされたり、道の駅の看板になったり、町中に張られるポスターだったり、分かりやすいんですね。やればやるほど、地元の人たちに周知されていくので、やりがいがあります。
ポストカードや看板のデザインなどの制作のほかには、どんな仕事をされていますか?
最近では、地元JAの桃の箱のリニューアルをお手伝いさせていただきました。宇和島のスーパーに行っても、自分でデザインした箱が並んでいると、やっぱり面白いですね。他には、ポストカードで描いていた絵を、松野町役場の名刺で使ってもらっています。名刺には町内観光施設の優待券もついているので、愛媛新聞でも取り上げて頂きました。あとは、JR四国の予土線3兄弟(しまんトロッコ、海洋堂ホビートレイン、鉄道ホビートレイン)の駅周辺マップも作成しました。
プライベートではウナギ捕りを楽しまれているそうですね。
はい。近所にウナギ捕りの名人の方がいらっしゃって、「じごく」というウナギを捕る仕掛けにはまっています。名人秘伝のポイントも教えてもらったので、初めてでもけっこう捕れました。天然ウナギは、弾力があって、身が締まっているので、サッと火が通るぐらいまで白焼きにして、わさびで食べるのが一番おいしいですね。
他の移住者や地域おこし協力隊の方との交流はありますか?
僕は家での仕事が多いので、どちらかというと移住者同士の交流は少ないほうだと思いますが、Iターン移住者の方とか、同じぐらいの世代の地域おこし協力隊の方が町内に何人かいらっしゃいます。地域おこし協力隊の方に入ったほうが、地元に溶け込むのは早いし、簡単だと思いますね。
松野町で仕事をされて、何か感じることはありますか?
小さな町ならではのおもしろさがありますね。地元に密着して、その土地にあったデザインを通して、地域を活性化させる仕事は、今後、全国的に広まっていくと思います。というのも、デザインの仕事に限らず、よそからIターンした人は、移住先を客観的な視点で見ることができるから、その土地に古くからある資源の掘り起こしがしやすい。無理に新しいものをひねり出さなくても、すでに「地元にいいものがたくさんあるじゃないですか」と提案することもあります。身近にある地元のいいものを改めてPRするほうが印象は強いし、よりいいものが浮かび上がってくるのではないかと思います。
今後の目標を教えてください。
松野町にかぎらず、隣町や近隣の各自治体の方々と、もっと広範囲でいろいろと特産品の売り上げを伸ばしていくお手伝いができれば、楽しそうだなと思います。それから、これまではデザインとイラストの仕事だけでしたが、今後は映像の仕事もはじめる予定です。すでに松野町のPR映像の仕事を頂いていて、自分で撮影・編集をする予定です。松野町は規模が小さいから、話が早い。だから、みんなでこれいいね、と思ったものが実現しやすい環境があります。フリーランスの仕事を地方でやろうと思っている人は、小さな自治体のほうが、仕事がしやすいかもしれません。
移住を考えられている方にアドバイスをお願いします。
家探しでも、農作業でも、「誰かが教えてくれるだろう」、「きっと面倒を見てもらえるはず」と他力本願でいると、「話が違う」ということが起こりやすいのかも?と思います。「こんなはずじゃなかった」と移住を後悔される方の中には、移住先への甘えが強いのかなと。逆に、「どんな場所でも自分でなんとかできる」と思って移住したほうが、イメージと違っていても、対応しやすいのではないかと思います。自分の意志を強く持って移住されたほうが、地域にとっても、移住者にとっても、お互いに良いのではないでしょうか。極端なことを言うと、移住先に就職口を求めるより、起業するぐらいの意識で来たほうが、地方移住は楽しいと思います。
自分でなんとかしようと思って来たほうが、地元の方々にも「こういう人が移住してきてくれてよかった」と思ってもらえるのではないかと思います。
市毛友一郎さん(42歳)
デザイナー・イラストレーター。東京で活動後、2012年7月に松野町に夫婦でIターン移住し、同町をテーマに掲げたポストカードやポスターなどを制作。
メルカドデザイン
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