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愛媛県大洲市出身の村上慎さんと埼玉県出身の美由紀さんは同じ会社に勤めていた縁で、埼玉で出会い、結婚。2021年に愛媛県松山市に移住した。大手企業を辞めて、松山市のビール醸造所で働く慎さんと、ホテルレストランと業態を変えて、大好きな接客業で働く美由紀さんの、移住のきっかけと今の暮らしなどについて訊いた。
人生に向き合い、導きだしたのが“転職”。
愛媛ではどんなお仕事を?
(慎さん)社員5名のクラフトビールメーカーに勤めています。主に広報を担当していますが、醸造のサポートから輸出業務、新規事業の準備まで“ほとんど”の仕事をしています。
(美由紀さん)私は、新しくできた宿泊施設で接客業をしています。お客さまに喜んでもらうのが好きで、移住前からずっと接客業の仕事をしています。
慎さんは愛媛に来る前、どんなお仕事を?
(慎さん)何億という年商を挙げる店舗の店長など、大手企業のマネージメント業務をしていました。今の時代を代表するような企業で、マニュアル化やシステム化が徹底された巨大組織なのに、スタッフが自主的に働ける仕組みができていました。その会社から学んだことは大きかったです。
20代でその立場だと相当な出世コースなはず。なぜ、転職を?
(慎さん)本当に仕事一筋で、バリバリ働いていました。そんな生き方に何の疑いもなかったんです。自分の生き方に向き合うきっかけになったのは、大切な人を3週間で2人もなくしたことでした。
何のために生きているのかもわからなくなって、働く気も起きなくて、会社を休みました。状況を変えたいと思い立って、車で一人旅に出ました。コロナ禍で宿泊もままならなかったから車中泊とキャンプでつないで故郷の愛媛県大洲市まで。途中で岡山の親友と合流して、大洲の肱(ひじ)川沿いでキャンプをしました。焚き火を囲んでクラフトビール片手にいろいろと語り合っていたとき、ふと、ぼくにとっての大切なものはこれなのではと思ったんです。
これ、とは?
(慎さん)心が極限の状態で手にしたものです。親友と語り、片手にはクラフトビール、そして焚き火のあるその時間の過ごし方です。
会社を休んでからずっと、本当にやりたいことが何か、考え続けていました。元々好きで、ビジネスの可能性もある「クラフトビール」という解にたどり着いた途端、「ぼくにとっての大事なものを誰かに伝えたい」「本当に好きなものに携わりたい」という思いがふつふつと湧いてきました。そこから埼玉に帰って、妻に「クラフトビールをつくりたい」って打ち明けました。
大手企業を辞めることに抵抗はなかったのでしょうか。
(慎さん)もちろんありました。給料も昇級の面も待遇があまりに良すぎて。それを投げ打ってでも、暮らす場所も規模もまったく違う会社に入ろうと決断できたのは、人の死に直面して人生観が大きく変わったからです。それに、妻と一緒なら、なんとかやっていけるだろうとも信じていました。上司からはものすごく反対されましたけどね。
美由紀さんは受け入れたのですか?
(美由紀さん)人生一度きりだから、彼自身も私も、好きなことをした方がいい。「いいんじゃないの?」って、即答しました。単身赴任という選択肢はなかったですね。夫がどこかに行くのだったら私も一緒に、と思っていましたから。
新天地で新たな仕事を、たのしむ。
なぜ愛媛に?
(慎さん)故郷の大洲に戻るのは40、50代でと思っていたので、愛媛に戻るという選択肢ありきではありませんでした。仕事が大事なので、住む場所は正直にいうと、どこでもよかった。「いいな、働きたいな」と思ったビール醸造所がたまたま松山市にあったというだけです。
そもそも、どうやって醸造所を見つけたのですか?
(慎さん)移住する半年前、常連だった兄に連れられて、そのビール醸造所に飲みに行ったんです。そのときちょうど、代表の山之内が接客していて、「今はやりたいこと、好きなことをやる時代だから、好きなことをした方がいい」って話してくれて。彼の人間性や価値観がステキだなと思ったのと、ビールのおいしさにも衝撃を受けました。
埼玉に戻って復職したのですが、転職するためにクラフトビールメーカーを探していたら、兄から、「一緒に行った醸造所が事業拡大するから人手が必要らしい」っていうので、代表に「ぼくを面接してください」ってアプローチして、採用が決まりました。
実際に働いてみて、いかがですか?
(慎さん)広報担当なのですが、山之内からは「全部やってね」って言われていて、醸造サポートや営業、輸出関係、税関係の管理など、ほんとうに全部やっています(笑)。そうすることで会社の全体がわかりますし、一社員だけど代表目線で働けている感覚があって、それがやりがいにもつながっていますね。
前の会社では、部下が60人ぐらいいて、組織化していました。今は自ら、戦略を立てて実行に移して、自分で振り返りをして、と全部自分でやらなきゃいけない。そこが圧倒的に違います。成長していくプロセスにいる充実はありますが、まだまだ改善しないといけないなと思っています。このコロナ禍で売り上げが好調というのはビール業界では珍しいこと。会社としての成長を感じながら、すでに挑んでいる世界のマーケットにもっともっと食い込んでいきたいと思っています。
美由紀さんはどうやって仕事を見つけたのですか?
(美由紀さん)インターネットで「オープンニングスタッフ募集」と検索して見つけたのが、今働いているホテルでした。上質な空間やホスピタリティを提供するというコンセプトに共感して、面接を受けに行きました。入って2ヶ月でスタッフを育成する立場を任されています。接客という仕事はどんな業種でも、お客さんに喜んでいただくという根っこは共通ですから。
松山の「自然が近い」「のんびり気質」が心地よい。
住む場所はどうやって見つけたのですか?
(美由紀さん)松山に来る前に賃貸サイトで探しました。「築浅」「2LDK」「白基調」とか、かなり条件を絞ると1、2件しかヒットしなくて、そこを狙い撃ちで内見して決めました。
(慎さん)ぼくの転勤の都合で引っ越しを余儀なくさせてしまうから、関東にいた頃から、「妻が気に入った家に住む」というのが2人の取り決めなんです。
仕事以外の時間の過ごし方は変わりましたか?
(慎さん)松山はおいしい飲食店が多いので、一緒によく外食するようになりましたね。昨日は郊外の山にハイキングに出かけました。松山の街が一望できて、めっちゃきれいで感動しました。関東にいた頃は、ハイキングとかやったことなくって。松山は街がコンパクトで、中心地からでも山や海まで30分前後で行ける。だから、リラックスもしやすいですし、仕事に集中しやすい環境だと思います。そこが、埼玉とか東京とは全然違うなと感じます。
松山と関東の違いは、ほかにありますか?
(慎さん)松山の人はすごくのんびりですよね。たまに、「この人止まってしまうんじゃないか?」というぐらい、ゆっくり歩いている人もいますし(笑)。話し方もそう。生き急いでいるような時代、それってすてきなこと。自分の時間軸で生きて、時間に囚われない暮らしというのが、ぼくには合っています。
(美由紀さん)基本、わたしは家が自分の好みだったらどこでも住めます。松山の暮らしはいい意味で“ふつう”ですね。不便さも感じないですし。あと、家賃も食べ物も安いですね。
愛媛に移住して、よかったですか。
(慎さん)好きな仕事をして好きな時間に休んで、毎日ストレスフリーです。“自由”に生きている感じがすごく楽しいですし、毎日が充実しています。
(美由紀さん)わたしも愛媛に来てよかったと思っています。ずっと同じ場所にいるより、知らない土地に行ける楽しさがあります。自分の知らない世界を知るというか、暮らしの違いを知るのもおもしろいです。
慎さんはいつの日か故郷の大洲に戻る、と話していましたね。
(慎さん)ぼくが生まれた場所は、大洲の中でも辺境の地です。何かを伝えることができるだけの人生経験を積んで、いつの日か、故郷に戻って、「こんな小さいまち出身でもなんでも挑戦できるんだよ」というのを、未来を担う子どもたちに見せたい。子どもたちに生きる希望とか、人生は楽しいよとか、前向きになれるメッセージを直接届ける。そんな役目がぼくにはあるはず、と思って今を生きています。