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東京・大阪の料理専門学校で30年以上、料理を教えてきた伊藤博史さんと、同じ専門学校で事務をしていた安奈さん。2020年、「しまなみ海道」にかかる島の一つ、「大三島(おおみしま)」(今治市)へ移住し、「ゆっくり食事の時間を味わってほしい」と願いながら、島唯一のフレンチレストランを営む。島への移住、お店への想いなど訊いた。
どうせ移住するなら、とことん田舎へ。
なぜ大三島へ移住を?
(博史さん)「田舎でレストランをしたい」というのが夫婦の夢でした。都会だとすでに飲食店はたくさんあって、どう生き残っていくかということに気を取られてしまいます。そうではなく、自分たち夫婦のこれまでの経験を生かして、地元の人とつながりながら大事に営んでいきたいという理想を思い描いていました。
(安奈さん)私も同じで、レストランをするなら海の近くで、のんびりとリゾート感覚でやりたかったし、人生一度は“田舎暮らし”をしてみたいという希望もありました。
オープンしてみて、いかがですか?
(博史さん)周りからは「大三島でフランス料理は、絶対いけるよ」と温かい声をもらうことが多かったのですが、オープンするまでは、本当にお客さんは来てくれるのか、不安は拭えませんでした。大三島は観光客が多いので、観光客向けのレストランを想定していたのですが、地元メディアに取り上げてもらったこともあって、島内や、愛媛県内からお客さんが来てくれて、順調にスタートを切ることができました。
アットホームな、心地よい空間ですね。
(博史さん)古民家にするつもりはなかったのですが、たまたまめぐりあって、いいなと思ったのが、この建物でした。フランス料理ということで、予約の電話口で、「どんな服装で来たらいいですか?」とドレスコードを気にするお客さんもいます。ここでは、カジュアルにフランス料理を楽しんでほしいので、「普段通りで」とお伝えしています。
ランチはコースだけ。お昼どきに来て、ランチ終了の15時ごろまでゆったり過ごすお客さんが多いですね。お客さんにとってここで食事をとることで、1日が特別なものになってくれたらと思っています。今のところ、そんな時間と空間を提供できているのがうれしいな、と感じています。
愛知県名古屋市出身の博史さんと、京都府出身の安奈さん。ともに東京で、調理師専門学校に勤務していた縁で、今から10年前に結婚。子ども2人ができ、家族4人で東京暮らしをしていた伊藤さん家族は、家族で過ごす、次の生き方を考えた結果、「田舎に移住してレストランを開くこと」を選んだ。
調理師専門学校で働く夫妻の、次のステージ。
専門学校ではそれぞれどんな仕事を?
(博史さん)小学生の頃には台所に立って料理を作りはじめ、どんどん料理の世界に惹かれていました。高校卒業後は専門学校に入って、「かっこいいな」と思っていた西洋料理を専攻し、卒業後は職員として残って生徒たちにフランス料理を教えました。フランスにも学校があって、日本人スタッフとして通算5年半ほど現地に行かせてもらった経験も含め、31年間、専門学校で料理を教えてきました。
(安奈さん)わたしは料理関係の仕事がしたくって、製薬会社から転職しました。おもに広報的な仕事を担い、学生さんに学校を案内したり、進路の授業で話したりしていました。コミュニケーションをとるのが好きだったので、仕事は楽しかったですね。
なぜ、そのキャリアを捨てたのでしょう。
(博史さん)それぐらい田舎暮らしがしてみたかったのと、もう一つは、時代の変化ですね。ぼくが専門学校の学生だった頃は、すごい量の料理を教え込まれて、その一部の料理をものにできたらレストランを開けると言われるほど、経験で腕を磨いてきました。その経験を試してみたかったのです。
(安奈さん)夫の考えもありましたし、私自身も、自分たちでプロデュースするもの・ことで自分の力を試したいという気持ちがありました。そして、家族4人で過ごしていく中で、今とは違う“生き方”に挑戦したいという思いもありましたね。
どうやって大三島を知ったのですか?
(安奈さん)職場の同僚に「田舎でレストランをしたい」と打ち明けたら、「しまなみ海道」にある島の一つ「伯方島(はかたじま)」(今治市)出身の子がいて、「島がいいのでは?」と勧められたんです。しまなみ海道は実家の京都へも名古屋へも割とアクセスしやすいし、なんといっても夫婦とも好きな海がある。移住する場所の条件が一致するなと思って、ゴールデンウィークにしまなみ海道へ行きました。その中で訪れた大三島は、観光客が多い島で、おしゃれな食堂やパン屋さんを営む移住者の方とお話させてもらうチャンスもあって、なんとなく移住した先が思い描けました。夫婦で即決でした。
2020年に大三島へ移住し、2021年7月、「しまなみフレンチ Filer(フィレール)」をオープン。古民家をリノベーションした温かな空間で、しまなみ海道の食材を丁寧にこしらえたフランス料理を提供。遠方からフィレールをめざして大三島を訪れる、島の新名所になった。
しまなみ海道の食材の、おいしさを伝える。
店の建物はどうやって出会ったのですか。
(博史さん)当時島には不動産会社もないし、賃貸アパートやマンションも少なく、滞在した宿の“先輩移住者”に教えてもらって、1年間、滞在型の農業施設「ラントゥレーベン大三島」に住みました。この施設は、農業体験ができ、きれいな施設でとても暮らしやすいのですが、子供の学校の関係等の制限があり、1年間と決めて、住む家とお店を探しました。
同じ保育園の保護者で、ゲストハウスをしている移住者の方に相談するうちに、その近くにあった建物も空き家と教えてくれて。夫婦とも気に入って、オーナーさんから購入することができました。
どんな料理を提供しているのですか?
(博史さん)ランチはコース料理のみで、夜はゲスト1組からヒアリングしてコースを組み立てる完全予約制です。食材は、主にしまなみ海道のものを使っていて、レシピを組み立てる中心になっているのが島採れの野菜です。「自然栽培」をしている農家さんから「うちの野菜を見に来ませんか」と声をかけてもらったのが縁です。新しい野菜にも積極的にチャレンジしてくれる方で、野菜が本当においしい。
あとはジビエですね。大三島には高い処理能力を持つ「しまなみイノシシ活用隊」という団体があって、ここの猪肉を扱っています。猪は苦手な方もいますが、ものがいい肉をきちんと料理すればジビエ料理はおいしいんです。地元の人にこそ食べてほしくて、パテにしたりローストにしたり工夫しています。
生活と仕事がつながる、島暮らしのゆたかさ。
東京時代の働き方との違いは?
(博史さん)レストランを経営するのは全責任が自分にありますが、好きなことができるし、気楽さや楽しさがあります。専門学校で働いているときは、料理人であって料理人じゃない感覚だったので、いまは実際にお客さんが食べて、喜んでもらって、対価を得ることができる。料理をする喜びが違いますね。
(安奈さん)東京の頃は、職場に行ったら“仕事モード”になり、電車で気持ちを切り替えて、“生活モード”に戻るみたいな感じで仕事と生活が別々でした。今は子どもをレストランに連れて仕事をしたり、メニューについて子どもたちと話したりと、家族一緒に仕事をやっている感じで、仕事も生活も区切りがないです。それに、島の移住者の皆さんは自営業の方が多く、家族ぐるみで仕事の話をします。みんなで、島で仕事をしているような感覚がおもしろくて新鮮です。
島暮らしはいかがですか?
(博史さん)島とはいえ、車に乗って30〜40分で今治市中心部や広島県福山市の中心地に着くので特に不便さは感じないですね。悩ましいのは、島に小児科がないので子どもに何かあった時はどうしようと思うぐらいです。
(安奈さん)悩みでいっぱいになっていても、夜、ふっと見上げると満天の星。その風景だけで、一気にストレス解消になります。贅沢な時間を過ごしているな、と感じますね。それに、東京にいた頃は休みの時も割と家でダラダラ過ごしがちでした。今、家族がそろうお休みは月1回しかないのですが、その分、休みに何をするか考えるのが楽しみ。誰もいない浜辺に、お弁当持って出かけてゆっくり過ごす。それだけで満たされます。
どんなお店にしていきたいですか。
(博史さん)島に来るまでも来てからも、いろんな方に親切にしていただきました。ぼくたちが、ものともの、人と人のつながりを生み出し、大三島を発信することで、島の人たちの力になればいいな、と思っています。
(安奈さん)お店が認知されてきて、最近は「イベントに出店しないか?」とか、ありがたいことにお声かけいただけるようになりました。店名「フィレール」はフランス語で「つむぐ」という意味です。イベントに協力するなど、やり方にこだわらず、いい形でお店を展開しながら、大三島との出会いをつむげる存在になりたいですね。