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愛媛県といえばミカンだ。しかし意外なことに、愛媛に住んでみると「ミカン」という言葉を耳にすることは少ない。
なぜか? その理由は、県内で栽培されている「ミカン」の種類があまりにも多いことにある。いよかん、ポンカン、八朔、あまなつ、清見(きよみ)、はるみ、はるか、せとか、そして愛媛県のオリジナル品種「紅まどんな」など、その数ざっと約40種類。これは全国1位の品種数だ。味も旬の時期も違うため、「ミカン」の一言だけでは何を指しているのかわからないのである。
その代わりに総称として使われるのが「柑橘」という言葉。
「柑橘は、他の農作物と比べて収穫の幸せが特別なんです。果実の軸を切ったときにふわっと広がるアロマとか、ハサミの音も違うように感じますね。たまにハート型の葉っぱを見つけることもあって――。毎日が心から楽しいなぁと感じます」
そう目を細めるのは、伊方町(いかたちょう)で柑橘農家を営む門田美妃さんだ。
伊方町は、宇和海と瀬戸内海という二つの海に囲まれた「日本で一番細長い半島」と呼ばれる佐田岬にある。
海に面した段々畑で、柑橘は太陽の光と海からの反射光を受け取ることができる。伊方町を含む南予・西宇和地域は、愛媛県の中でも特に柑橘栽培が盛んだ。
門田さんは、遠く離れた愛知県で生まれ育ち、37歳まで同県で介護福祉士として勤めていた。当時の夢は土に触れられる農家になること。そして尊敬できるパートナーと出会い、家庭を持つこと。
そして、4年後の2022年――この伊方町に移り住み、二つの夢を叶えた。
本人にお話を伺いながら、柑橘栽培の魅力とその軌跡を追う。
きっかけは父の死、「これからは新しいことに挑戦しよう」
門田さんが自分の将来のために動き出したのは2018年、自身の父親が亡くなったことが一つの転機となった。
「これからは自分で行動してみようと、人生初の海外旅行に行ったり、いろいろ挑戦していました。そのうち農業の季節労働をしてみたいと思うようになりました」
実は、かねてより農業に興味のあった門田さん。介護福祉士として働きながら、福祉施設が運営する野菜畑で栽培などのボランティアも行っていた。
「でも、どんな農作物を育てたいのか、自分ではまだ見えませんでした。だったらいろいろやってみよう!と、行き着いたのが派遣の仕事でした」
近年は、一次産業に向けた人材支援の企業が増え、農業や漁業事業主などとそこで働きたい人のマッチングサービスを行っている。門田さんは「YUIME(ゆいめ)」というサービスに登録し、一年の前半は沖縄でさとうきび、後半は愛媛の伊方町で柑橘の栽培や選果に従事。JAに勤務する形で、伊方町にも期間限定で2度ほど滞在した。
「伊方町に初めて来たときは、四国のずいぶん端っこだなという印象でした」
しかしその“端っこ”の町の魅力に、門田さんはだんだんと引き込まれていく。
柑橘の掛け合わせが面白い!
伊方町での季節労働時代、門田さんが特に興味をひかれたのが、品種の交配だった。
「たとえばデコポンは、ポンカンと清見の掛け合わせで作られているなど、血統のようなものがあるんです。家系図が作れる感じですね。それを選果場の人たちから教わり、面白いなと感じました。系統を知ると、人間の親子で顔や性格が似るように、柑橘も味や育ち方に“親”の性質が現れます。とても奥深いんですよ」
JAにしうわの「伊方柑橘共同選果場」に勤めるうちに、地元の人の温かさにもひかれていった。
「田舎には閉鎖的なイメージがあるかもしれませんが、伊方の人たちは親切で人情があるんです。こんな人に囲まれた暮らしができたらと、短期の滞在ではなく移住を考えるようになりました」
協力隊として移住、ご縁のきっかけは「布団貸して」
2021年6月。まずは伊方町の地域おこし協力隊として、移住を果たした門田さん。
地域のさまざまな農家の元に通い、柑橘栽培の基本的な技術などを教わって回った。また地域を盛り上げるために、大分県との交流イベント「海峡カーニバル」などさまざまなイベントも主催。この時期に、たくさんの経験や人脈を築いた。
旦那さんである尊光(たかみつ)さんは、祖父の代から柑橘農家を続けているという。農業大学校を卒業して約20年間にわたり柑橘農業に携わっている大ベテランだ。
――ということは二人の交流も、栽培技術を教わる中で生まれたのだろうか?
「いえ。自宅はすぐ隣でしたし、農業も教わったことがありましたが、普段は会っても挨拶程度であまり交流はなかったんですよ」
と、門田さん。そして苦笑する。「たしかに相手は3つ年上で独身だったので、周囲の人たちからは『付き合ったら?』などと冗談半分で言われていましたが」
交際のきっかけは、とある「借り物」だった。
「私の友人が、遠方から伊方地区の農作業の手伝いに来ることになったのですが、私は一人暮らしだったので布団が足りなくて……。困った挙句、図々しいと思いながらも、尊光さんに布団を借りられないかお願いに行き、快く貸してもらったんです。そして後日、お礼にいただきもののイノシシ鍋でもご馳走しようと思い、夕食に招待したのがきっかけです。そこで意気投合して連絡を取り合うようになりました」
日本古来の習慣――お手伝いや借り物、おすそ分け文化などが赤い糸を結んだとは、なんともロマンチックな話だ。
交際がスタートして間もなく、二人は籍を入れることになる。そして2023年4月、柑橘農業に専念するために門田さんは協力隊を卒業した。
「正直、一人で農業を継続していくのは大変だと思っていたので、こんな心強いパートナーができて本当に幸運でした。徒歩5分圏内に彼の両親や弟も住んでいて、集落がほとんど親戚で農家なんですよ」
42歳にして突如「農家の嫁」となった門田さん。嫁姑関係や古い家のしきたりなどとはうまくやっていけるのだろうかと率直に聞いてみると、「あまり考えたことないですね」と朗らかに笑う。
「そもそも自分の性格が『かまわれたい』タイプなので、世話を焼かれてもうっとうしいと思わないんですよ。同じように近隣に嫁いだ知り合いも、『集落みんなが親戚だって思えばいいのよ』と言われたそうですが、実際そうだと感じています。一人で困難を抱え込みそうな状況でも、『大丈夫?』と声をかけてもらえることが心強く、ありがたいなと思います。この温かさがあったからこそ、私はアルバイターから定住の道を選びました」
現在は約2.5ヘクタールの畑で、一般的にミカンと呼ばれている温州みかんや、いよかん、ぽんかん、せとかなど6種ほどを生産。冬の収穫は大忙しだが、尊光さんの両親やアルバイトスタッフたちと力を合わせて、楽しみながら乗り切る。
道路や設備も充実、移住者も増え始めている
町内には四国電力の発電所があり、周辺の道路や設備も充実している。
「町に発電所があるということで、地域の災害対策もしっかりしていると感じました。万が一というときは、バスで近隣の町に避難するルートなども確立されています。実際にこれらを体験する訓練もあり、私も集落の代表として参加してきました」
息抜きをしたいときには、「佐田岬半島ミュージアム」へ。
半島の文化を伝え、藍染めショップやカフェなども併設されている。
「学芸員の方が足で稼いだ情報がたくさん詰まっているのが面白いですし、カフェのベーグルサンドは絶品! 藍染め体験も楽しいです」
さらに岬の先端にある三崎港からは大分県へのフェリーも運行していて、最短ルートで九州に出られる。地元の人が外からの人に親切なのは、このような風通しのよさも関係しているのかもしれない。
「近年、移住する人も増えてきました。この町や柑橘栽培の魅力は私のSNSでも発信していますが、もっと近隣の農家さんとも連携して畑に関わってくれる人も増やしていきたいです」
門田さんは肉親の死をきっかけに人生を見つめ直し、新たな家族と安住の地を手に入れた。その眼差しには目の前の人を温かく包み込む、瀬戸内の海のようなやさしさがある。
今日も門田さんは土に触れ、大切な人たちの中で生活を紡いでいく。
きっとそこには数えきれないほどの幸せがあるのだろう。