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移住者インタビュー

30年ぶりの故郷で山間の暮らしを再発見

大洲市山暮らしフリーランス

 松山から車で約2時間。肱川流域の深い山間に位置する大洲市大川地区の大貸(おおかし)集落は、戸数わずか8戸、人口の半数が55歳以上という四国の準限界集落です。東京でフリー編集者としての仕事の傍ら、伝統野菜を通じた町おこしに取り組んでいた宮本幹江さん(51歳)は、2010年5月、「山間の暮らしと文化を受け継ぎたい」と30年ぶりに生まれ故郷へUターンしました。東京で出会った土井利彦さんと一緒に移住して3年、地域のみなさんと連携しながら、地域の良さを見直すきっかけづくりに取り組んでいます。

Q 30年ぶりに故郷にUターンを決めたきっかけを教えてください

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私は高校を卒業後、東京で編集の専門学校に通ったあと編集プロダクションに勤め、20年間フリーのライター兼編集者をしていましたが、個人的にはずっと地域を元気にする活動をしたいという思いがありました。仕事以外のところで、地域の人と結びつきを持ちたいなと……。
思うに、こういう山間の地域を捨てて、都会に出て行ったという引け目が、どこかにあったのかもしれません。

そんな思いもあって、東京の小金井市で伝統野菜である「江戸東京野菜」をもう一度見直して、地域おこしにつなげようというNPO活動に5年ほど参加していました。この活動の流れで、土井さんとも出会いました。

編集の仕事をしていたので、NPOではチラシの企画や印刷物のお手伝いを主に担当していましたが、この活動は行政やJA、地元の飲食店もどんどん巻き込んでいって、かなりおもしろかったですね。
やがて、「江戸東京野菜といえば小金井」とメディアにも浸透していき、「もう私たちがいなくてもいいね」という状態になったことと、年齢的にも48歳になり、古里に帰るのであれば早いほうがいいだろうなと。
また、ちょうどその頃、父が亡くなって、母が大洲で一人になったことも重なって、このタイミングで移住を決めました。
ついでに言うと、仕事でも暮らしでも東京からいろんな物事を見るということに、なんとなく違和感を感じていたこともベースにありますね。

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Q Uターンするにあたって、準備したことはありますか?

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一番心配したのはインターネット環境です。わが家は大洲市の中心部から20キロほど離れた、本当に山の中ですから(笑)。
こちらに帰っても、東京の編集の仕事は続けたかったので、インターネットは絶対必需品でした。
ネット環境について調べているうちに、NTTドコモの携帯端末でネットに接続ができることが分かって、「じゃ、ここで住めるな」と。もちろん光通信ほど早くはありませんが、ドコモの端末でもそれほどイライラしない速度なので、助かっています。
私の場合は、ネット環境があることが最大の決め手でした。

Q 山間のロケーションは気になりませんでしたか?

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それは気にならなかったですね。Uターンする場所として、最初は松山や大洲の市街地も考えていましたが、それだと家賃がかかるので、「お金をかせぐ仕事」が欠かせなくなるし(笑)、近くにコンビニなんかもあるので、生活環境は東京とそれほど変わらないですよね。
私はむしろ、こういう山間の集落で実際に暮らして、どういうことを感じるのか見つけて行きたいなと思っていました。
隣の母屋で暮らしている80歳の母がまだ動けるうちに、ここでどういう風に暮らしてきたのか、山の暮らしのあれこれを教えてもらいたいと。例えば、新茶の季節にお茶をどうやって作るのか、ぜんまいをとってきて、どうやってゆでて干すのか、他にも味噌の仕込み方、こんにゃくの作り方など、数えだしたらキリがありません。

Q 3年前に帰ってこられる時は、土井さんもご一緒だったのですか?

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そうですね、土井さんが一緒だったことは大きいですね。
私は一応、車の運転免許はもっていますが、都会では全然運転しなかったので、まだ運転がうまくできなくて。それに、1人でここに帰って来ても、母だけが話し相手じゃ、ちょっと寂しいじゃないですか(笑)。
東京で、いろいろ地域づくりの活動をやってきて、こういう山暮らしをどうやって守っていこうかという時に、中山間地の問題や地域づくりに対して、私以上に関心を持っている土井さんが一緒だったのは大きかったと思います。

Q 宮本さんが帰ってこられて地域のみなさんの反応はいかがでしたか?

大貸(おおかし)集落は現在8戸ですが、地域の方は私が突然帰って来たので、最初はびっくりされたのではないかと思います。
私もどうやって挨拶していけばいいか迷うところもあったのですが、母が帰郷した私たちを組内に入れてもらえないだろうかという話を区長さんにしてくれたみたいで、区長さんから月に1回開かれる地域の常会に来ませんかとお誘いを受け、仲間に入れてもらうことになりました。

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▲春と夏の年2回、念仏講を開いている大貸のお堂

Q 常会ではどんなことを話されるのですか?

まずは、区長が行政からのお知らせなどを伝え、その後、みんなで道路の草刈りの日にちをどうするかとか、地域のお祭りの話とか、集落入り口の大わらじを作り直す相談、イノシシの被害や渇水問題など、地域内の行事やみんなで解決すべき課題を話しあっていきます。
常会とは別に、何かあるとみんなで集まってお酒を飲んだりしますが、なんせ、最初の常会で念を押されたのが「ここは飲めんといかんけんね!」ですからね(笑)。

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▲集落入り口の大わらじ

実はこの地域に小中学校時代の同級生が2人いて、彼らがリードしてくれて、歓迎会もしてもらいました。
30年ぶりに帰って来て、その間ずっと変わらず、この地域で暮らしていた同級生がいるのはありがたかったですね。同級生たちは、父が話していたのと同じ、生粋の大貸弁でしゃべり、田んぼの畦(あぜ)の塗り方もちゃんと身につけている。ここに暮らしていると、そういうことが自然と身についているんだと感動しました。
彼らばかりではありませんが、今いる人たちがここで暮らしてきてくれていたから、この地区が存在しつづけ、私もここに帰ることができたんだと思っています。

Q 大貸に帰って来て驚いたことはありませんか?

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この地域には、棚田が若干残っているんですが、棚田を守っている方が、米作りのためである以上に、「景観作りのために棚田を作っている」という話を聞いてびっくりしました。
今から30年前、私の父が現役で米作りをしていた頃は、間違いなく「食べるために米を作るに決まっとる!」と言ったでしょう。食べるというのは、換金作物として、そして実際に口にする主食として、という2つの意味ですが。

「景観作り」という言葉の背景には、農水省の中山間地域への直接支援制度があって、「どういう風にこの集落を守っていくか」をみんなで考える機会がすごく増えたみたいです。みんなで集まって、「共同の炭焼き小屋を作ろうか」とか、「水車を作ってみようか」とかいろいろアイデアも出し合っていますね。

こういう山間の集落は、地域の人が自分たちの地域をどうするかをしっかり考えていかないと、崩壊しかねません。個人的に地域づくりに興味があるので、地域の人と一緒に活動していきたいなと思っています。

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▲坂本龍馬の脱藩の道としても知られている肱川流域。去年は、5年ほど前から行われている大川地区の「鯉のぼりの川渡し」行事で、クリアファイルの製作をお手伝いした

Q 大貸に戻ってきて、困ったことはありませんか?

一番困ったのは、水問題ですね。
大貸集落では簡易水道がないので、それぞれの家が、谷から水を引いたり井戸を掘ったりしています。こちらに来た最初の年は雨が多かったので、水不足の心配はないと安心していたのですが、逆に大雨によって土砂が流れてきて水路がつまってしまって。水路の定期的なチェックが必要なんだなと気づきました。毎日ではありませんが、月に何度か500メートルほど離れた沢の取水口まで、様子を見に行っています。

もう一つ困ったのは、山奥なので、なかなか飲みに出かけられないこと(笑)。浮いた飲み代で、ワインクーラーを買いました。でも、車で20〜30分行けば日常に必要なものは揃うし、それ以外はインターネットでだいたい手に入るので、そんなには困らないですね。

Q 普段のお買い物はどうされていますか?

週に2〜3回、町に出たときに大洲や内子のスーパーで買い物することが多いですね。

そうそう、こちらに来て思ったのは食べ物が安くておいしいということです。
特にお魚、とりわけ鯛は、スーパーでも、びっくりするほど安い。いつも買い物するたびに、「これ東京だったら、倍くらいするよね」と二人で話しています。

あと、意外だったのは、豚肉がすっごくおいしいこと。東京でもおいしい豚肉を探して食べていましたが、こちらの肱川豚のほうがずっとおいしいですね。

個人的には食の問題に興味があるので、四国のおいしいものを発信して、生産者と消費者を近づけるような活動もやっていきたいと思っています。

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Q 現在のお仕事の中心は?

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去年(2012年)の8月から、いよココロザシ大学というNPOが運営する市民大学で、「生物多様性」をテーマにした授業(講座)のコーディネーターを担当しています。
生物多様性というと、つい自然観察とか野鳥観察ということになるのですが、そればかりでなく郷土の食べ物や手工芸などの伝統文化を通して、生物の多様性について考えてもらったり、知ってもらったりする機会を増やすのが目的です。
授業の企画を考え、先生を探してきて内容を相談し、当日の運営を行います。これはもう1年続くことになり、今も週に一度は松山のNPO事務所に出かけ、それ以外は南予をフィールドに車で動き回っています。

Qこれまでで一番人気の高かった授業は?

一番人気が高かったのは、内子町の石畳地区で実施した炭の授業ですね。石畳地区には、日本一の茶道炭を焼いている方がいらっしゃって、そこで午前中は炭窯に入って見学し、午後はその炭を使って、「内子の春を食べる」をテーマにしたバーベキューをしました。他にも、野村のチーズとか、岩ガキ、三崎(佐田岬)のアワビなど、食べ物をテーマにした授業が人気ですね。

いちばん思い入れが強く、印象に残っているのは、地元の「肱川」をテーマにした授業です。

昨年の冬には、「肱川をみれば四国が分かる」という切り口で、地元中学校の校長先生を講師にお迎えして、肱川を地形的に見るところから始まるジオパーク的な流れの授業を行いました。夏には、船の上から肱川の地形や動植物、流域の人たちの治水の智恵などを観る授業を行い、これには関東からの参加もあってうれしかったです。

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▲7月に行った肱川授業の様子

まだ帰って3年ですが、愛媛のことをあまり知らなかったので、いよココロザシ大学を通じていろんな人とのつながりもでき、とてもよい機会をもらったと感謝しています。

実はこういう「食を通じた学び場作り」は、東京・小金井市のNPO時代から「STUDY&CAFE」という形でやっていて、やっぱりそういうことがもともと好きだったんですよね。

こちらに帰ってから感じるのは、自分の時間がなかなかもてない方が多いのではないかということ。
平日お勤めしている人も、土・日は親の介護であったり、農作業があったり、買い物に行ったりして、自分のために使う時間がないのは、もったいないなという気がするんです。
もっといろんなことに出会って知的な刺激を受けたり、違う世界を知る機会があった方がいいのではないかなと思っていたので、いよココロザシ大学のお話があった時に、東京での活動とまさにドッキングした感じで、これは絶対いいと思いました。

Q 東京時代からのお仕事も続けていらっしゃるのですか?

そうですね。昔からつきあいのある仕事も続けていますし、他にも、いろんなところに顔を突っ込んで、遊びプラスボランティア的な活動もしています。

具体的には、鬼北町の「鬼こいまつり」の実行委員会に加わって、そのチラシ作りをお手伝いしたり、2013年2月に松山にオープンした「環のひろば ゆたか庵」の運営委員として、機関誌を作ったりといったことです。
ゆたか庵は、東京時代からお世話になっているまちづくりNPOの方からのご紹介ですし、そういう意味では、こちらでも東京の方とのご縁がつながっていますね。

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▲ 東京時代から10年ほど編集しているまちづくりNPOの小冊子。最終ページで、大貸レポートも連載している

Q 今後取り組んでいきたいことはありますか?

大貸に来た目的に、こういう山間の限界集落をどうにかできないか、挑戦してみたいという思いがあったので、きちんと取り組んで行きたいと思っています。個人的に出来ることと言えば、記録を残していくことかなと思っていますが、具体的にどうやっていくかはまだ全然見えていない段階ですね。

一人では限界があるので、いろんな方の知恵を持ち寄って、地域の問題に取り組んで行きたいですね。
「せっかく帰って来たんやから、一緒に何かやろうや」と地域のみなさんに誘われているので、あちこち出歩いてばかりいないでちゃんと大貸にもいないと、と思っているところです(笑)。

Q 今後、移住を考えている方へメッセージをお願いします

Iターンされる方は、何らかの移住の目的をしっかり持っているのではないかと思いますが、こういう山村地域に来たいのであれば、もしかしたらUターンの方がスムーズかもしれません。

Iターンの方の場合は、移住者への受け入れ側からの歩み寄りも大切なのかなと思います。
というのも、少し前、ここから2kmほど離れた戸数4軒の小さな集落に、20歳のIターンの方が突然来られたのですが、結局続かなくてすぐに出て行ってしまいました。その方は、自転車しか移動手段を持っていなくて、少し無謀な挑戦だったのかもしれませんが、受け入れ側の歩み寄りがあれば、少し違ったのかもしれないという気はしています。

また、内子町に小さな子どもさんと一緒にIターンされていたご家族も、子どもさんが成長して中学生になると、もう少し違う刺激を与えたいと、別の地域に移られました。それってとってもよく分かるんですよね。子どもさんが小さい時期を山村でのびのびと遊んで暮らすのは、とてもよいことですが、社会性を身につけるには、別の刺激が必要な時期もきっとあるのだと思います。

ただ、大貸のような山村地域がどうすれば残っていけるのかを考えると、地域を出て行く時には、代わりの移住者をみつけて交代するような形になると、地域にとってはいいのかもしれません。今後は、ずっと定住するスタイルだけでなく、ある一定期間定住する人が、次々に回転していく中で、地域社会がつながっていくような、柔軟性のある移住の仕方もあるのではないかと思っています。

PROFILE

移住先エリア

移住先周辺の地図であり、正確な場所ではありません。

宮本幹江(みやもとみきえ)さん(51歳)
2010年5月に東京小金井市から大洲市大川地区大貸集落にUターン

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