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移住者インタビュー

理想の山里で紙漉きの魅力にどっぷりハマる

鬼北町農業起業

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学生時代から田舎暮らしに憧れ、15年近く理想の田舎を探し求めたという平野邦彦さん。四万十川に注ぐ支流である広見川が流れ、穏やかな山里が広がる鬼北町に移り住んで約10年。農業のかたわら、後継者不足に悩まされていた鬼北泉貨紙(きほくせんかし)保存会の会長として紙漉きの復興にも取り組む平野さんに、田舎暮らしの魅力を伺った。

Q 鬼北町に移住された経緯を教えてください。

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愛媛県に移り住んだのは、1999年の春ですから、約10年前になりますね。僕がまだ学生だった頃から、いつかは田舎暮らしをしたいと決めていて、こちらに来るまでに、15年近くいろいろ準備をしていました。

元々の出身は山口県の下関。田舎というわけではなかったので、まずは田舎暮らしがどういうものか試してみようと思って、栃木の大学に通っていた1986年に大学を休学して、四国の山奥で1年間暮らしたことがありました。

その時は、あくまで、田舎暮らしのお試しだったので、場所はどこでもよくて、できるだけ辺鄙なところ、極端な田舎がいいなぁと思って、日本中の田舎をバイクで走り回っていた時に、たまたま、お隣の旧日吉村(現在の鬼北町)にあった山仕事の人たちが使う小屋を、「ほっておくと荒れちゃうから、好きに使っていいよ」とタダで貸してもらえることになって、1年間田舎暮らしを体験しました。

Q 1年間、山奥で何をしていたのですか?

03_kihoku.jpgその時、住んだのは、旧日吉村の中でも結構山奥で、現在は節安ふれあいの里として整備されている辺り。当時は、廃村になっていて、電気は来ていたけど、テレビもラジオもなかったので、本を読んだり、あとは情報工学科の学生だったので、山に場違いなコンピューターを持ち込んで、いろいろプログラムを組んだり、結構まじめに勉強していましたね(笑)。

その頃、宇和島までバイクで買い物に行く途中に、現在暮らしている鬼北盆地を抜けるので、この辺りの土地勘もなんとなくあって、ここで暮らすのも悪くないなとぼんやりとは思っていました。

それから、また学生に戻って卒業後は、関東の印刷機器関連のメーカーに就職しました。その後転職して、大学で研究助手を務めていましたが、早期退職という形で田舎暮らしへ踏み出しました。

 

Q 移住先はどうやって探したのですか?

しばらくは漠然と移住を考えていましたが、就職して2〜3年した頃、関東で開催される移住セミナーに冷やかし半分でちょくちょく参加していました。そこで、「新規就農」なら、行政の手厚い支援が受けられると知り、農業支援センターに、「四国か中国あたりで田舎暮らしがしたい」と相談に行きました。当時は、テレビで『北の国から』のドラマが再放送されていた頃で、田舎暮らしといえば、富良野や安曇野が大人気。そんな時にマイナーな四国を候補に挙げるのは、なかなか目の付け所がいいと担当者から褒められまして(笑)。
「農業をして田舎に住む」という戦略にシフトしたのはその頃ですね。
だから、僕の場合は、農業がしたくて田舎暮らしを選んだというのではなく、田舎暮らしをする方法論として「新規就農」という道を選んだというのが本音なんです。

それから、西日本を中心に候補地を本格的に探しはじめ、移住を考えていた15年の間に、85市町村ぐらいは実際に現地まで下見に行きました。その頃から、県庁や役場に移住の仕方をいろいろ相談に行って、最終的候補地として残ったのは、宮崎と大分の3町村と愛媛県南予地方でした。

 

04_kihoku.jpgQ 最終的に鬼北町に決めた理由は?
当時から、九州は、新規就農による移住者の受け入れ先進地。
特に、宮崎県は、大先進地で移住希望者が観光バスでやってきて、社宅のようなところに住んで研修を受けて、産地の担い手として移住できるような受入体制がしっかり整備されていました。
最後の候補に残っていた大分県も、一村一品運動などが盛んで、宮崎県に出遅れてはいましたが、どちらかというと宮崎県と同じ方向性で、例えば、「うちの町は、シイタケの従事者が欲しい」「うちの町は地鶏の担い手が欲しい」といった感じで、移住者を特定の地域産業の担い手として育成したいというニーズが強かったんですね。

産地を守るために、まるで企業の新人研修のような移住の受入体制がしっかりシステム化されていて、それはそれで安全なんでしょうけど、僕はちょっとおもしろくないなという気がして。その点、当時の愛媛県はそういった移住支援の体制が皆無だったんです(笑)。
愛媛県庁にはじめて、移住の相談に行った際に、「愛媛県ではレアケースですよね」と聞いたら、「レアどころの騒ぎじゃない、第1号だよ」といわれるほどで(笑)。

愛媛県の中でも、とりわけ南予に至っては「脱サラして田舎に移り住みたいなんて話は初耳。初めてのケースだから、何をしてあげたらいいかも分からない。ごめんなさい」という感じでしたが、「南予で農業がしたい」と相談すると、農協関係や業者を次々と親切に紹介してもらえました。

県や町としては、産業の従事者を育てたいという思いはもちろんあるのだろうけど、当時の役場の担当者は、「リスクを負ってこちらに移り住んでくれるのだから、最初から特定の産業の従事者と決めず、やりながら決めていきましょう」という自由度の高いスタンスで受け入れてくれました。自治体が「やりながら決めればいい」と言ってくれるのは、農業としては非常にめずらしいこと。いろんなところで話を聞いたけど、これは初めてでしたね。

行政の支援体制がシステマティックではなく、ざっくばらんに対応してくださったのが、鬼北町に決めた大きな要因の一つ。はからずも、学生時代にお試しで住んだ田舎に近い場所に落ち着きました。

 

Q 鬼北町に移住することに対しての奥様の反応は?

いつかは田舎暮らしがしたいという話は結婚する前からずっとしていたので、「いつか、どこか」だけが問題でした。女房は、栃木県の田舎で育っているので、田舎暮らしに対してあまり抵抗はないようで「温かい場所ならどこでもいいよ」という感じでしたね。最初は、夫婦揃って専業農家をしていましたが、今はこちらで勤めに出ています。

 

05_kihoku.jpgQ 現在のお住まいはすぐにみつかったのですか?

住まいは、役場で移住を担当してくれた人が空き家をみつけて紹介してくれました。
この空き家にはおもしろいエピソードがあって、役場の人が「きっと、こんなところが好きなんじゃないですか」と送ってくれた候補地の写真の場所が、学生時代に「住むならこんなところがいいな」と、たまたま1枚だけ撮った写真とぴったり同じ場所で、本当にビックリしました(笑)。

今の住まいがある集落は、川のすぐそばで、めずらしく植林をしていない天然林が残る山里。写真を撮った当時は、ここに住むなんて全く考えてもいませんでしたが、運命的な出会いだったのかもしれませんね(笑)。

 

 

Q 農地もすぐみつかりましたか?

はい、家を借りた大家さんが土地や畑もたくさんもっていて、家と農地込みでお借りできました。
あとは、農業で入植したという話を聞きつけたご近所の人から「ここの土地も遊んでいるからやらないか」と声をかけてもらったり、農地には困りませんでした。むしろ手が回らないのでとお断りしているぐらいで。

現在は専業農家として、年間を通してハウスで万能ネギを生産したり、お米と夏場は露地野菜も作っていますが、ここ数年は紙漉きが忙しくて、冬場は紙漉きが生活の中心になっていますね。

Q 紙漉きをはじめたきっかけは?

たまたま、家の隣にお住まいのおじいさんが鬼北泉貨紙保存会の三代目の会長さんで、「遊びにきたら」と誘ってもらったのがきっかけです。こちらに来てすぐの頃だから、もう10年ほど前になりますね。
最初は遊び半分でしたが、今は1〜3月の冬場は紙漉きが中心。どっぷりはまってます(笑)。

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泉貨紙は400年ぐらいの歴史があるそうで、かつては広見川沿いのたくさんの集落で、農閑期の副業として盛んに生産されていたようですね。この地域に紙漉きが残ったのは、明治の初め頃、素晴らしい漉き手がいて、良質な紙が漉ける高い技術が伝授されたおかげだったようです。
ただ、高齢化が進み、漉き手が次々と引退して泉貨紙を漉ける人が少なくなって保存会ができて、子どもの頃に家の手伝いでちょっとだけかじったことがある人に教え直したりしながら伝承されてきたようです。それでも、だんだん、やる人がいなくなってきて、困ったなぁと言うときに、近所にいた若造が暇そうに遊んでいたから声をかけられたんじゃないのかな(笑)。

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▲広見川沿いの小倉(おぐわ)コミュニティーセンター内にある作業場

 

Q泉貨紙にどっぶりはまった魅力は?
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もともと物作りが好きなんですが、はじめて5〜6年ぐらいはさっぱり話にならなかったですね。1枚ならなんとか漉けるけど、まとまったものを均一に作るのは難しくて。

紙漉きは、冬場の水が冷たい時期じゃないと漉けない。氷が張るぐらいの温度がちょうどいいんです。ここ3〜5年は、冬が温かすぎるので、前よりもタイミングを計るのは難しいですね。あと、雨も多いので川で材料を洗う作業や、天日で紙を乾燥させるのも難しい。
そういった気候の変化を腕で吸収して、均一の物を作るのはハイレベルな話。

ただ、練習すれば、それなりにちょっとずつ改善されていくし、そうした上達の過程が少しは見えるのが楽しいのでしょうね。今でもまだまだですが、少しでもまっとうなものができればいいなあと取り組んでいます。

 

Q 泉貨紙の主な使い途は?

今は、町の学校の卒業証書に使ってもらっていますが、もともと泉貨紙は、お習字などに使う和紙とは違って、簡単に破れないことを追求して作られた工芸用の和紙。実は、使い途があまりなくて、需要がないのが頭が痛いところ(笑)。
かつては、屏風の蝶番や番傘に貼ったり、ザルに貼ってボール代わりにしたり、戦後はサンドペーパーの台紙やイリコなどの乾物をいれる袋などに使われたようですね。
現在の大口のお客さんは、旅館がお品書きやランチョンマットにしたり、釜飯屋さんがお弁当の飾りに使ったりといったところですね。

泉貨紙は、1日頑張っても100枚漉くのが精一杯。注文が来ている量だけは仕上げなければいけないので、冬場はどうしてもかかりっきりになります。

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▲泉貨紙は二枚の紙をぴったりと重ね合わせて一枚の丈夫な紙に仕上げる

 

Q 今後取り組んでみたい目標は?

伝統的な紙漉きの保存会なので、まずは、ちゃんとした泉貨紙が作れなきゃマズイんだけど、昨年ぐらいから新しく入ってくれた人たちと、創作和紙というか、少し毛色の違う和紙も開発してみようかなと取り組んでいます。

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これは、僕がデザインしたランプシェード。他にも、おふざけで、石に和紙を貼り付けて文鎮みたいにして、書道する人がこの上から文字や絵を描いて、工芸作品にして遊ぶ人も出てきています。

14_kihoku.jpgあとは、かつて出荷用の紙を漉いた後、いわば残りものの材料で家庭用に漉いていた和紙が復活できないかなと研究中です。これは、出荷用ではなく、自宅のふすまの補修などに使ったいわば二級品の和紙ですが、コウゾの繊維が残った風合いがおもしろいので、新しく入ってきた人達と一緒に試行錯誤しながら挑戦しているところです。

たまたま僕は、田舎に暮らして、はからずも和紙に手を染めることになりましたが、多分、こういう例は、ここだけでなく日本中の山間部にもあるはず。

移住者が、田舎暮らしで何をするかというのは、非常に難しい問題で、生活がかかっていると、こういう非産業的な、道楽的なネタに手を染めるのは、なかなかできないのかもしれないけど、移住者が失われていく伝統に接触するチャンスは、他の地区にもあるんじゃないかと思いますね。

 

 

Q 今後、移住を考えている方にアドバイスを

ここ10年ぐらい、田舎に移住した人たちと話す機会が結構ありましたが、人それぞれ、移住の目的が全然違いますよね。例えば、本格的に農業をやりたいとか、民宿をやりたいとか、田舎で「これをやりたい」ということが明確にある人は、それに有利な立地を探した方がいいと思います。
一方で、気に入った田舎に住んで、そこで好きなことをしてのんびり暮らすというスローライフに憧れている人は、自分の理想にあったロケーションの田舎を探せばいいと思います。
田舎暮らしをしたいと思っている人の中には、その違いを明確に考えていない人が多いような気がしますね。

僕が、愛媛県に移り住んだ当初は、まだまだ移住支援の制度がしっかり固まっていなくて、すごく自由な空気があったけど、いろいろな移住支援の制度が整備される中で、行政のサポートを受ける際に、愛媛県に限らず、全国的に移住者が選ばれるという動きがあるという話も聞きます。

田舎では、移住者に、地域産業の担い手になってもらいたいとか、都会にいた時の人脈を持ってきて商売の口を広げてもらいたいとか、そういう期待は絶対にあると思いますが、最近はその傾向が強まりすぎて、気に入ったところに住んで、産業的ではないスローライフがしたい移住者を受け入れてくれる地域が少なくなっているような気がします。

気に入ったところで、適当に道楽をして暮らすというスタイルの移住は、産業従事者になりにくいので、おそらく自治体の支援を取り付けにくい部分はあると思いますが、団塊の世代や、ある程度、財源的に余裕があって、のんびり田舎暮らしがしたいというニーズもきっとあるはず。
自分がたまたまそのコースで上手くいったせいか、好きなところに住んで、のんびり田舎暮らしをしたいタイプの移住希望者にとって、南予の田舎はとても魅力的だと思うんですよね。

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例えば、この鬼北町には、車で30分以内に1000m級の山があって、泳げる川があって、抜群にキレイな海があって、島がある。しかも、大都市圏が離れていて、メジャーな観光地が近くにない。狭いエリアでこの条件を全部備えているところは全国的に見ても非常にめずらしいと思います。僕が調べたところでは、全国でも5カ所ほどしかないんですよね。

日本中に田舎はたくさんあるけど、どこも条件のどれかが欠けている。僕は、南予の田舎のそういう部分をもっとPRしてもいいのではないかなと思います。

例え、半分隠居という形で田舎に移り住んだ場合でも、いわゆる限界集落では、荒れた畑を耕してもらえるとか、若い人が来て地域が住みやすくなったと喜ばれるケースは結構あると思います。僕の場合はたまたま紙漉きでしたが、何かしら地域ごとに求められるものもみつかるのではないでしょうか。

それが「ゼニ儲け」になるかというと、それはまた別の話ですが、産業ベースだけで移住を考えてしまうと、この手の南予の田舎がすごくもったいない気がします。

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PROFILE

移住先エリア

移住先周辺の地図であり、正確な場所ではありません。

農業、森の三角ぼうし・青空市生産者部会、鬼北泉貨紙保存会
平野邦彦さん(47歳)富希子さん(44歳)
1999年春に栃木県から夫婦でIターン

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