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移住者インタビュー

伝統の世界でのびやかに暮らす

砥部町起業

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伊予郡砥部町は江戸時代から伝わる焼き物・砥部焼の産地。砥部焼は国の伝統的工芸品に指定される愛媛を代表する文化だ。その砥部焼の里へ8年前に移り住んだという陶芸家夫妻のスギウラ工房を訪ね、お話を伺った。

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 松山から車で約30分、国道33号西側に広がるなだらかな傾斜地をのぼり、砥部川の支流である和田川を渡って陶里ヶ丘と呼ばれる窯業団地へ。めざすスギウラ工房はその一角にあった。
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 ご主人の杉浦史典さんは愛知県名古屋市出身。東京造形大学デザイン科を卒業後、愛知の窯業高等技術専門校に学び、その後岐阜県の工房で修業を積まれた。
 一方奥様の綾さんは新潟県生まれだが、お父様の仕事の関係で中学生の時に松山へ。史典さんと同じく東京造形大学デザイン科を卒業し、愛知県立瀬戸窯業高校専攻科で焼き物を学んだとのこと。

平成9年に結婚したお二人は、砥部焼の作家を目指して移住されたと思いきや?

 

—砥部焼の作家を目指しての移住だったのですか?

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「実は、移住のきっかけは、妻の両親と同居する話になったことでした。
私たちのいた瀬戸は「せともの」と一般名称になるほどの焼物の産地で、陶器も磁器も作っています。また各地から土も集まってくるので、陶磁器について一通り学ぶことができました。なので、砥部というところに磁器に適した良質の陶石があることは知っていました。身近にせっかく良い土があるのだから、砥部焼をやってみよう、となったわけです。ここ陶里ケ丘は、砥部町が工房を持つことを条件に分譲した団地なのですが、これがラッキーでした。他所では土地もありませんし、独立して窯を持つなど無理だったでしょうね。」

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—では順風満帆に砥部焼陶芸家としてのスタートをきれたわけですね?

「いえそれが、こちらに来てから始めた砥部焼はどうも瀬戸とは勝手が違う。最初なかなか思うように焼けなくて、本当に困りました。
 専門学校などで学んだ人も、たいてい始めはどこかの工房などに入るようですが、私たちはその道筋を踏まなかったものですから砥部焼の師匠がいないわけです。
そうするうち、どこからか噂を聞きつけた砥部焼の窯元の先生が飛んできて、『焼成温度が違う』と言われたんです。私たちは、瀬戸では染付前の素焼の段階では700〜800度で焼きしめていました。先生は『砥部焼は900〜950度、1000度近い温度で焼かんと割れるんよ』と教えてくださったんです。」

ご夫婦にとって、温度のことよりも先生が駆けつけてくださった事のほうが驚きだったようだ。

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—他所ではあり得ないことですか?

 「なかなか考えられないですね。極端な話ですが、話をするにもまずはあのお弟子さんから、そしてさらに上の方へ取り次いでもらい・・・というような手順を踏まなければならなかったりします。ましてや、先生みずからが来られて教えていただけるなんて!おそらく、まわりの方たちはみな私たちのことを気にしてくださっていたんだと思います。」

—焼き物の一大生産地を見て来られたお二人なので、身にしみてありがたみが分かる?

 「本当にいろいろ教えていただき、ありがたく思っています。砥部焼は実におおらかで開放的ですよね。これは、砥部焼の世界に限らず愛媛県の風土や人柄なのかもしれません。」

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 お二人の作品の一部を見せていただいた。史典さんは手びねりやろくろで成型した白磁器を製作。豊かな発想をスッキリしたフォルムで描き出した作品は評価も高い。現在は東京のギャラリーで開く個展の準備にお忙しいようだった。綾さんは手びねりに砥部焼の特徴である薄い青の呉須で絵付けをする。ぽってりと可愛い姿に布目や玉模様などの古典柄がポップに躍り、若い人にも人気が高い。中国の絵画によく見られるモチーフを軽やかに描いたカップを「エセ山水です」と茶目っ気たっぷりに紹介してくれた。

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—これから移住を考えている方へひと言お願いします。

「砥部焼に関していえば、独立するには良い土地だと思います。町全体に新しい陶芸家を育てようという意識があり、私たちが移住した後ですが、技術の伝承や人材育成を目的とした砥部焼陶芸塾も始まりました(現在第6期生までが修了)。塾生の中には元教師という人もいると聞きます。それと、どこの地場産業も同じだと思いますが、昨今大量生産の安い物が求められ、以前のように作れば売れるという時代ではなくなってきた。その認識と覚悟は必要でしょう。」

 

—砥部町は“モノづくり”の町という印象があります。

「本当ですか?嬉しいなあ。陶里ヶ丘には若い作家が多く、また最近町内にある同世代の造り酒屋の方と知りあうことができました。業種を超えて集まる私たちの話題はもっぱら、砥部を盛り上げていくこと。面白いと広く知ってもらえれば人も集まるし、私たちが手作りするモノの販路も広がる。それに、最近は自分の気に入った良いものを自分のために買われる方が増えてきているそうです。従来からの製造・販売方法を見直すべき時期なのかもしれません。」

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—次の世代がしっかりと考えておられ、砥部町の未来は明るいですね?

「先輩たちが受け継ぎ伝えてきたものを、私たちの世代でダメになりました〜では済まされない。それが8年間お世話になった砥部への恩返しだと思うんです。」

 しばしば、移住に成功した人たちは、その土地に愛着を感じることはたやすいが、周囲の人たちとは、時間をかけて馴染んでいくものとの声を聞く。
 杉浦さん夫妻の場合は、若い世代の提言を中堅やベテランの方たちも耳を傾けてくれるだろうという信頼関係が、わずか8年という短い間に築かれたことに驚かされた。

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 帰り際、田畑沿いの道に砥部焼をあしらった無人販売所を見つけた。観光案内板も砥部焼の里にふさわしいデザイン。民・官ともに砥部焼を守り発展させていこうという強い思いが、しなやかな感性とともに感じられた。

PROFILE

移住先エリア

移住先周辺の地図であり、正確な場所ではありません。

杉浦史典さん(36歳)、綾さん(36歳)
2001年に愛知県からIターン

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